5月4日は、ナミビアの祝日「Cassinga Day」です。どんな祝日なんだろう?と思って検索してみると、カッシンガというのは隣国であるアンゴラの地名のこと。何でアンゴラの地名をナミビアが祝日にしているんだろう??
すると、とても難しい南部アフリカの戦いの歴史が…理解が追い付かなかった点も多々ありますが、まとめてみました。
ドイツの植民地から南アフリカの統治下へ
ナミビアは第一次世界大戦前(1884-1914)の約30年間はドイツ、以降約70年(1920-1990)は南アフリカ共和国の支配下にありました。
ドイツの植民地時代の話はまた書こうと思いますが、当時から植民地支配に反対し、独立運動を行う勢力がいました。後にナミビアの政権与党となるSWAPOの前身です。
ドイツの植民地から抜け出したかったナミビアは、当時南アフリカ共和国と組んでいました。
南アフリカ共和国は、ナミビアからドイツ軍を撤退させた後、第一次世界大戦以降の1920年、国際連盟からナミビアの委任統治を任されます。
第二次世界大戦以後、1945年には国際連合は南アフリカに信託統治を求められますが、南アフリカ共和国はこれを拒否し委任統治を継続、ナミビアを自国領に編入します。
この頃にはホームランド制度が設定され、民族ごとに居住地域が定められました。オバンボランド、ダマラランド、カオコランドという名前は今でもよく聞く呼び方ですが、植民地時代を思わせる表現になることは認識しておいた方がいいと思いました。
(オプウォにはKaokoland restaurant という素敵なレストランがあり、この呼び名に対する嫌悪感はそれほど大きくないのかな?と思います)
アンゴラ、南アフリカ、そして中間のナミビア
南アフリカ共和国はアメリカと組んでいましたが、敵対するソ連は、ナミビアの北に位置するアンゴラと組んでいました。そしてアンゴラにはソ連と組んでいたキューバ軍もいました。
1975年からアンゴラでの戦いは過激化を増します。元々独立していたアンゴラでのこの戦いは「アンゴラ内戦」とされていますが、典型的な米ソ代理戦争と言われます。
ナミビアはアメリカ側(南アフリカ)にとって、アンゴラに進出するための要所でした。
ナミビア内の反南アフリカ勢力であるSWAPOは、アンゴラ内戦でソ連側に付いていました。南アフリカはアンゴラを攻撃するとともに、反南アフリカ勢力であるSWAPOに対しても武力行使し、ナミビアからの難民がアンゴラに逃れていました。
その難民キャンプになっていたカッシンガ地区を1978年5月4日に南アフリカが襲撃。600人近くの人が命を落としました。
この日のことが現在のナミビアの祝日「Cassinga Day 」になっています。
その後も多数の死者を出すSWAPO掃討攻撃や、南アフリカによるアンゴラへの攻撃、キューバ軍による南アフリカ軍への攻撃は続きます。
アメリカからの支援、国際連合からの批判、自国の混乱の渦中にいた南アフリカの歴史もとても複雑です。
ナミビアに来る前に「マンデラ 自由へ長い道」という映画を観ました。
現在でもナミビア国内での南アフリカの存在は大きく、南アフリカランドは普通にナミビアドルと一緒に使えますし、時間も南アフリカとの時差がない中央アフリカ時間を採用しています。
1988年にキューバ軍が南アフリカ軍に大きな打撃を与え、南アフリカ軍はアンゴラから撤退の方針を示します。
アンゴラ、南アフリカ、キューバ、間の停戦が話し合われ、ナミビアの独立が現実になっていきます。
1989年にナミビアで行われた選挙では、SWAPOが過半数の議席を獲得しました。
1990年ナミビアは正式に独立。SWAPO 議長のサム・ヌヨマが初代大統領に就任しました。国民のSWAPO 政権支持は根強く、現在も与党であり続けています。
ということで…
長くなりましたが、カッシンガデーにあたって、ナミビア周辺で起きていたことを調べてみました。国の平和がずっと続いてほしいと思います。
「南部アフリカ解放運動の歴史年表」
「ナミビアを知るための53章」
「外務省基礎データ ナミビア」
を参考にしました。
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