コロナで帰る…どうして?と言われて。

こんにちは!
新型コロナウイルスの影響で協力隊員全員が一時帰国することになったものの、私は出発日の前日から高熱を出してしまったため出国できませんでした。ナミビアは3月27日から30日の出入国禁止期間に入ることから、このまましばらく…1か月単位でナミビアに滞在することになります。色々な人が尽力してくれたのに、自分の体がもたなかったのが情けない。毎日夜になると髪の毛をがしがしやってうわあああああって…なっています。

みんななんて言って離れてきたんだろう

「帰らなきゃいけなくなった」と校長や町の人に伝えたとき、大抵は「なぜ?」と聞かれました。「日本の方がリスクが高いんでしょ。オプウォの方が安全だって、事務所の人に伝えるべきだよ」と言ってくれた人も。そんな時、他の隊員さんはどんな風に伝えていたんだろう…と考えていました。

私が話したのは3点。

‐もし私がここであの感染症にかかってしまったら、「日本人が」と思われる。個人の問題ではなく、日本とナミビアの国際問題になってしまうかもしれない。「日本人が悪いものを広めた」「日本人は嫌いだ」と思われてしまったらつらい。日本とナミビアがいい関係であってほしいから、帰らないといけない。

‐もし私や他のボランティアがかかって、ナミビアの病院を受診したら、その分ナミビア人のための医療を奪ってしまうことになる。もちろん必要な時には医者にかかれるのはわかっているけれど、ナミビアの医療はナミビア人のものだから、私たちは邪魔するべきじゃない。(これは結構No、あなたはナミビアに住んでいるんだから医療を受けるべきと言われた)

‐周りの国が徐々に国境が閉じていっている。ナミビアにいて何もない分にはいいけれど、何かあった時にすぐに戻れなくなるのを事務所は心配しているみたい。

私の突然のお知らせに対して、任地の人達は本当に優しくて、
・とても悪いニュース…帰らないで
・こちらの方が安全だから、オプウォにいなさい。
・荷造りは大丈夫なの?手伝おうか
・さみしくなるよ、元気でね
・無事に帰れることを祈っているね
・家族によろしく伝えて
・またすぐに会えるといいね
・戻ってくるのを待っているよ
こんな風に私に声をかけてくれました。優しく温かな人達が、ウイルスの恐怖にさらされないことを祈ります。

ナミビアの新型コロナ水際対策

任地を離れる頃にはまだ、政府から大きな対策は通知されていませんでしたが、ここ数日で急速に対応が進んだようでした。

まずは「ウイルスを持ち込まない」=出入国禁止30日間、そして「ウイルスを広めない」=都市間移動の制限(コマス州とエロンゴ州)21日間、及び在宅勤務要請14日間。首都に滞在している私も基本的に部屋を出ず、引きこもっている状態です。

日本の2.2倍の国土に、60分の1の人口を持つナミビア。人の住んでいない土地が多くありますが、都市と都市の距離も離れていることから、感染者の移動を防げれば簡単には広まらないはずです。私の任地オプウォも首都から730km、時間にして8時間ほど離れていて、大きな町までも車で3時間ほどかかります。ウイルスを封じ込め、早く人々が安心して暮らせる日々が戻りますように。

帰ってくんなって言わないで、、

海外で「外国人でいること」はどれだけ馴染んでも心のどこかで緊張感を含んでいて、その緊張感のおかげで私は色々なことを考えました。相手を不快にさせない振舞い方、誠実に仕事に向き合うこと、歯を見せて笑う、現地の人へ言うのを控える言葉、それをするのは自分の”責任”。緊張感があったからこそ、外国人の自分に対する任地の人の優しさがプラスのありがたみになって自分に響いてきたように感じます。たまにジョークが理解できなくて必要以上に傷ついてしまったこともあったけれど。

外国人でいる人の気持ちも、海外帰りの人の気持ちも少しは近く感じられると思います。今ウイルスの影響で帰国者は厳しい目を向けられているようだけど、確かにウイルスを持ち込まない、広めない責任があり、「無症状陽性かもしれない」という意識で行動は帰国者に必要。でもそれって帰国者だけの話じゃない。帰ってくんなとか、国に帰れとかいう人って、どういう想像力で発言してるのかなって。。14日間隔離したり、手洗いうがいをしたり、食事と睡眠に気をつけたりすることは、別に帰国者だけがやるべきことじゃない…帰国者=ウイルス保持者って考えるのは、多くの隊員が遭ってきた、アジア人=コロナと思われ差別されたことと変わりません。。正当な対応を求めるのは当然だけど、帰ってくんなって言葉は言うべきじゃない。「私はあなたを流行りのウイルスの名前で呼ぼうって思わない、だからコロナって呼ばないで」と言ってきたように、「東京に住んでるんですか?コロナ持ってます?って言っちゃいけないってわかってる、だから帰ってくんなって言わないで」って思います。

2 件のコメント

  • 様々記事を読ませていただきました。

    2023年の今やからこそ、改めて見てみると「この時は海外にいてることが、さらにはアフリカにいてることが、協力隊としていてることが」こんなに大変な心理的なストレスになり得るんやと冷静に読むことができますが、当時その場にいた御本人はいかばかりやったか。
    従姉妹も同じ時期に協力隊でフィジーに赴任してました。同様に帰国したので一時期魂が抜けていました。

    全てに意味がある!と信じ一番いい方向に進みますようお祈り申し上げます‼️

    • コメントをありがとうございます。本当に今改めて見ると冷静に捉えられますが、当時は大きな不安に包まれていました。
      帰国して間もない頃は「しばらくして落ち着いたら戻れるかな?」なんて思っていましたが、戻れないまま任期を終え、今は小学校教員として働いています。
      今年の8月、3年半ぶりにナミビアを訪問しました。町は少し発展していましたが、町の人の温かさは変わらず、当時のことを懐かしく思い出しました。

      従姉妹の方も協力隊のOVだったのですね。コロナ禍での帰国で、大変な思いをされたと思います。今もどこかでお元気でいらっしゃいますように。
      実は私は帰国後に出会ったフィジーの柔道の隊員と結婚しました。夫が当時お世話になったかもしれません。不思議なご縁ですね。

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